浜田寿美男「形成論から考える発達障がい」(3)

3)欠如論ではなく形成論的にみること

【浜田】 そして自閉的な障がいを、最初からそうあるんじゃなくって、そういう(能動=受動の働きにハンディを持った)形で生まれて周囲の人たちとの関係を生きた時に、どういう症状形成がなされていくのかと、症状形成論として見ることがあっていいんじゃないかと思うわけです。

  自閉症の人たちを、ある能力の欠如として見る、という話にどうしてもなるんだけれど、自閉の人たちをコミュニケーション能力がないんだという形で位置づけるんじゃなくて、どうやってそのコミュニケーションの障がいが出来上がっていくのかという、その症状形成のプロセスとして描けないかと思ってきたということです。

  そうするとこだわり行動なども、一定程度理解できるようになるという形で、自分なりにそういう育ちの過程を描くということをやってきたんです。ワロンの手掛かりが結構大きかったと思います。

  今でも大人になった時に人がコミュニケーションができるようになっている、そこが「欠けて」いる、というところに目が向けられて、形成論的に見ていないような気がするんですね。そこを形成論的に見たときに、もっと見えるものが出てくると思う。

【山本】 はい。今の問題は特にアスペルガーという障がいをどうとらえるかといった問題に直結してくると思います。アスペルガーの方たちは能動=受動の交替をベースにした視点のやりとりなども可能で、基本的なコミュニケーションは成立するわけです。

  けれどもやっぱりその視点の在り方に独特に定型とは異なっているところがあるんですね。その部分にいわゆるカナータイプの自閉とつながる質が感じられる。そこで定型社会の中でいろいろな軋轢が生まれ、困難に直面されるわけです。

  でもそれは前提として生まれながらに持っていたある条件をもとに、その後の形成過程の中で独特の人間観や世界観を形作っていった結果なんだと思います。そうやって形成されたアスペルガー的なコミュニケーションのあり方と、定型が自分の持って生まれた前提をもとに形成したそれとの間でディスコミュニケーションが発生する中で、いろんないわゆる「障がい」と言われる現象が生み出されていく。そういう視点で分析することがすごく大事なんだろうと思えるわけです。

【浜田】 そうですね。欠如論ではなく、形成論として見るという発想は、当然必要なことなんですよね。時間的な経過の中で欠如の状態を生きる。そこには当然変化もあるわけですよね。昔は哲学との関係もあって形成論的な見方はそれなりに強かったのが、今のDSMのように外的な症状を記述する、そしてその関係を見るという発想には形成論が欠けているという気がするんです。

【山本】 結局欠如論のように「欠けている」という見方で見てしまうと、その人自身が主体的に生きて、模索しながら新しいものを作って生きていくという、その姿が見えなくなってしまうわけですよね。

【浜田】 そうそう、そうです。

【山本】 そうすると主体と主体の共生の関係として、定型発達者と発達障がい者の間の関係を考えることができなくなってしまう。

ミニ解説 形成論的に見ること

 今ある「障がい」の形は環境との相互作用で作られたものです。したがって環境が変わればその形は変わります。今ある障がいの「欠如」を、その人の固定的な能力の「欠如」として見ると、この相互作用のダイナミズムが見失われます。「障がいの形」は周囲が作るものでもあるのです。特に二次障がいの問題はこの視点から考える必要があります。


【浜田】 たとえば感覚過敏ということがよく言われますけれど、感覚過敏というのを、単に個人の感覚が過敏であるといった形で記述していいのか、それとも、感覚過敏が出てくるような症状形成を考えなければならないのかということはやっぱりあると思っています。

  あるいは、知覚レベルでも私たちは多くの刺激の中から特定の刺激(図)を取り出してほかの刺激(地)を抑制して認識するという、図地分節ということを普通にやっているわけですが、なんでそういうことができるようになるかとうと、その分節の仕方を共同的に作り上げているところがあるんじゃないかと。

  図は個人の図ではなくて、共同の図なんですよね。感覚過敏も個人の感覚器官の問題としてだけとらえるという発想はちょっと違うんじゃないかと思うわけです。むしろ形成論としてとらえられないだろうかと。

【山本】 図の認識も共同的に周囲と調整しながら形成されるのだけれど、自閉系の方はその調整過程に独特の形や困難があるために、定型と共有した図地の世界が成立しにくいということがあるんじゃないかと思います。そして療育の問題はまさに形成途上との付き合いの問題ですから、おっしゃるように形成論的に問題を見ることが特に重要になるのではないかと思えるんです。

  今日はお忙しいところ、貴重なお話をどうもありがとうございました。

ミニ解説 図と地

左の絵(ルビンの盃)の白いところに注目すると盃(図)が見えて黒い部分(地)は意識されません。逆に黒いところを見ると向かい合う顔(図)が見えて、今度は盃(地)が意識されません。私たちの意識は環境の一部(図)に注意を向け、他を背景(地)として無視する形で成り立ちます。「人の話が雑音と混ざってよく聞き取れない」と訴える発達障がい者がありますが、この「図と地」の関係が定型のようには成り立ちにくいからと考えられます。

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