先日,埼玉県の東松山市でずっと発達障がい児者の支援に取り組んでこられたハロークリニックにお邪魔し,これまでの取り組みや支援へのお考えなどを教えていただく機会を持てました。
医療的な対応から福祉まで地域に根差して広く取り組み続けてこられた社会福祉法人で,昴共生社会研究所という研究所まで立ち上げて活動をされてきています。
お話を伺っていてとても刺激的だったのは,「障がい者問題への取り組みは,子どもを施設に囲い込むのではなく,地域の中で支えあって育てていく形を作るべきだ」という理想の下,それまで行っていた通所事業を全面的に廃止して,地域の中に出てサポートの仕組みを作るという活動を続けてこられたということです。
私もかつて関西にいたころ,関西は全国に先駆けて「障がい児を普通級で」という運動が進められたところでもあり,私がつきあっていた自閉症のお子さんも,親御さんの願いで行政と掛け合って普通級在籍を行って来られていました。今でこそインクルージョンとかノーマライゼーションとか,当たり前のように言われるようになりましたし,通級制度や加配の制度など,かなり柔軟なシステムが全国で普通になっています。けれどもその当時はまだそのような動きにはかなり先進的なもので,当然いろいろなところで軋轢も起こり,ほかのお母さんから「こんな子がいると迷惑だ」とクラス会のような場で言われたりということもあったようです。
それにしても通所施設というシステム自体を廃止して地域に入り込んでいこうとされるというのは,大変な決断だっただろうと思いますし,いろいろなご苦労がおありだっただろうと思います。ハロークリニックは周りが木立に囲まれ,周囲は一面の田んぼと農家,という,まるでトトロの世界のような雰囲気の場所にありました。東京から車でたぶん1時間程度の場所ですけれども,ああ,たしかにここには今も人々が支えあって生きる共同体が息づいている,とそんなことを強く感じたものです。そのような共同体の中で障害のある人もない人も,お互いに自分らしく生きていく関係を作り上げられるというのは,ひとつの理想的な生活の形かもしれません。
そういう地域の共同体の中では,学校はそういう共同体を支える核の一つでした。学校の運動会は地域のお祭りのようなもので,地域の人たちが集まって飲んだり食べたりしながら子どもたちを応援し,お祭りを楽しむ。日本の学校は「教育機関」という役割を超えて,地域のつながりにとってかかせないひとつの場を提供し続けて来たことになります。その中に障がい児者もしっかりと位置を持つことの大切さがあります。
それと同時に,障がい児者の生きる世界が劇的に変化していっているというもうひとつの現実も,それとの対比でまたよく見えてくる感じがしました。特に都市部では,学校がそういう地域のセンターとして働くという姿がもうほとんどなくなってきたに等しい状況があります。運動会が地域のお祭りでなくなってから久しくなり,いまでは運動会に地域の人たちがやってきて飲んだり騒いだりするのは「信じられないような非常識」とまで非難されるようにもなってきています。
地域のつながりはどんどん希薄化し,障がいのある子どもを抱えて誰にも相談できずに孤立する親御さんもたくさんいらっしゃいます。もはや助けを求めようにも安心して求められるつながりが見えなくなってしまった方たちがたくさんいます。
そういう現状の中でどうやって改めてお互いの助け合いが可能になる「共生社会」が再生できるのか,というテーマは本当に大きな課題であり続けています。各地に次々に作られていく自助会のような集まりもあり,またネットを通じたコミュニティーも次々に生まれてきています。お金を介した契約関係によって成り立つつながりもある。カウンセリングなどもそういう種類のもので,これもまた地域共同体が失われてきた中で作られてきた新しいつながり方のひとつなのでしょう。
とにかくいろんなつながり方,いろんな新しい共同性の模索が並行して展開し,そのどれか一つに収束するような方向は今の私には見えません。どの行き方にもそれなりの可能性と,そして大きな限界が見えています。障がい児者への支援ということも,それを「共生の模索」という視点から観る限り,進行しつつある世界のドラスティックな変動とまさにリンクしてしまうようなむつかしさを持つ問題だと,ハロークリニックの取り組みを伺って改めて感じたことでした。もちろん,だからこそやりがいのある,創造的な分野の一つであるともいえるわけですが。